Disturbingなコンテンツ

閲覧注意。心がかき乱されるような内容です。

Blood Eagle 血のワシ

人間の処刑方法といえば何を思い浮かべるだろうか。斬首、焼殺、銃殺、などが候補にあがりそうだし、人によっては凌遅刑やファラリスの雄牛なども思いつくだろう。

本記事で紹介する処刑方法は残酷・過激。よくもまぁこんな方法を思いついたなと感心(ドン引き)する。早速紹介していこう。

 

閲覧注意!

 

血のワシ(Blood Eagle)

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北欧の後期スカルド詩(late Skaldic poetry)にて登場する処刑方法。スカルド詩は9〜13世紀に詠まれていたもの。この処刑は実際に行われていたのか、それとも創作上のものなのかは現在でも議論の対象となっている。儀式としての一面もあったとか?

やり方は、まず生贄をうつ伏せに寝かせる。刃物で背中を切り開き、肋骨を切除。そうしたら肺を体外へ引っ張り出して広げるのだという。

一体こうすることに何の意味があるのだろうとつい考えてしまう。見てる人の方がダメージを受けるのではないか…?ちなみにイメージ図(自作)はこんな感じ。f:id:JLD:20240224025909p:image

決して生で見たくはない…そんな処刑である。

なんとDisturbingな映画であると名高い『ミッドサマー(Midsommar)』でもこの光景が見られる。ただし処刑中のシーンが見られるわけではなかった…と思う。確か。

先述したスカルド詩のうち、『オークニーの人々のサガ(Orkneyinga saga)』や『ラグナルの息子たちの話(Þáttr af Ragnars sonum)』で血のワシの記述が見られるようだ。

どちらも貴人を生贄とし、父親を殺された復讐として実行されているという共通点がある…が、血のワシにそうした意義が込められているのかはよく分からない。

また、Luke John Murphyらによって書かれた論文『An Anatomy of the Blood Eagle: The Practicalities of Viking Torture』によれば、こういった処刑は解剖学的に可能ではあるが、最中に生贄は死んでしまうという。

つまり血のワシという名の通り肺を綺麗に広げ終わる前に、処刑は(本来の目的に限れば)達成してしまうのだ。であるならばますます見物人に余計なダメージを与えているだけな気がしてくるが…

ところで、『ミッドサマー』では処刑された被害者の肺がまだ動いているのが見えるらしい。映像的にはそちらの方が「うわ〜まだ生きてる!?」となるのでこれはこれでいいか。

 

 

凌遅刑やファラリスの雄牛に比べて生贄を苦しませるというよりは(当然苦しいだろうが)、ビジュアル重視?な感じのする処刑であった。途中からは処刑者側の自己満足な死体のいたぶりではないかとも思ったがまぁ世の中にはこんなdisturbingな殺し方があったんだなぁというのは興味深かった。

…まさか現代で行われていたりしないよな?ショッキングな文化を紹介する映画を最近よく見ているので、なんかありえそうで怖い。