Disturbingなコンテンツ

閲覧注意。心がかき乱されるような内容です。

『ジャンクフィルム(Junk Films)』

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死は不吉なものだ。人前で話題に出すのを憚れるものであるし、盛り上がるようなテーマでもない。日常生活で話す機会はほとんどなく、多くの人にとっては意識することがすっかりなくなった概念ではないかと思う。

そしてそれは日本らしいことであると思う。治安が良く、死体が転がっていることがない。死体を見かけなければ死を意識することはない。せいぜい殺人事件のニュースを目にするぐらいであろうか、しかしそれで死について考える人は少ないだろう。ふーんで終わってしまう話だ。

この映画はそんな人に対して死について今一度考えさせるような作品である…

以下閲覧注意!

 

 

 

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いわゆるショックメンタリー映画は事故や人が死ぬ瞬間、暴力を収めた映像が含まれる過激なドキュメンタリー映画であるが、この作品は少しだけ毛色が違う。決定的瞬間を捉えた衝撃映像というよりは、惨劇が起きた後の現場や周囲を映すことがメインである。

例えば『Banned from Television』や『ジャンク 死と惨劇』では人や動物が暴力を振るわれ、轢かれ、そして殺される瞬間が見られる。それは視聴者にショックを与えてやろうという魂胆が見えるものであり、視聴者もそういった衝撃映像を期待して見るのであろう。

しかし本作は刺激的な映像もあれど、それによって視聴者を楽しませることが目的ではない(と思う)。見ていてどこか切ない気持ちになるのだ。他のショックメンタリーを見ていてこんな気持ちになることは…まぁ正直あることはあるが、この作品ほど色々と考えさせられることはない。他では『死化粧師オロスコ』くらいか(同監督の作品である)。

ここからは内容をいくつかピックアップして語っていこう。序盤、車に轢かれた遺体がある現場が映される。始まってばかりなのにこの遺体はいきなり損傷が激しい。腹が裂けて?中身が色々見えている。肉片も飛び散っている。数分前までは平気な顔をして外を歩いていたんだろうが…人は死に様を選べない。

殺害された遺体の数々。刺されたり銃で撃たれたり。検死が行われているが、見物人が非常に多い。東南アジアの人々はこういうものを見慣れているのであろうか。

ベジタリアンフェスティバルの映像が混じっている。あまり死とは関係がない気もするが、映像は過激である。口の周りに長い針を貫通させたりしている映像は『Shocking Asia』等でも収録されており、東南アジアの過激映像の代表例であろう。

事故現場の映像はまだある。ひどかったのは盗難されたタクシーが暴走し歩行者を轢いた現場の映像だ。歩行者にとっては理不尽極まりない最期であるし、顔が本のページみたいにめくれている。遺体の修復は可能だったのであろうか。葬式に綺麗な顔で出してもらっていればせめてもの救いがあったように思える。少なくとも遺族にとっては。

インドのガンジス川近くの観光地では火葬場は外にあり観光客は焼いている現場が見える。火葬を他人が見られるようにしているのは変わった習慣だ。もちろん遺体は布で包んだ上で焼いているのだと思われる。東南アジアやインドでは日本との死に対する感じ方が少し異なると見ていて感じた。死を恐れすぎていないというか、タブーにしすぎていないというか、ある程度割り切っている感じがする…上手く言えないが。

そして無縁仏(遺族がいない人の遺体)を収容する墓苑で行われているボランティア活動の映像。人々は古い遺体を掘り起こし肉を削いで骨と分離させ、新しい遺体が入るスペースを確保する。現場の雰囲気は明るい。人々は抵抗感もなく会話をしながら作業をしている。私は死が連想される場所ではどんな顔をしていれば分からなくなってしまうのだが、これも現地の文化からすれば死を遠ざけすぎだと感じるのだろうか。

最後は日本の火葬場で、焼却した遺体の骨を壺に収めているところや、その後の友人らの会話の映像である。明るく笑いながら話していても、どうしてもふいに悲しくなってしまうのが伝わってきて切なくなる。

 

 

 

過激で視聴者を楽しませる作品かと言われると少し違うのが分かってもらえたと思う。死はときに突然やってくるものであり、周りに深い悲しみを与える理不尽なものである。そんな死には文化によって色々な考え方があり、もっと言うと個人間でも相違があってよいものだと思っている。

私は昔は徹底的に死を忌み嫌う人間であったが、今は多少、死について考える抵抗感が薄まったかなと思う。あなたはこの映画を見たとき、何を思うだろうか。